羽衣線 東羽衣駅 (2014.8)

鳳駅 – 東羽衣駅間のわずか1.7km、乗車時間は3分ほどの支線。3両編成の103系が往復している。駅は南海の羽衣駅と隣接している。
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キ101(国鉄キ120)は1933年鉄道省大宮工場製造の雪掻車で、1967年津軽鉄道に譲渡された。撮影当時(2008年)は構内に留置された状態だったが、その後は主にイベント用として本線走行もしているようだ。プラットホームを挟んでJR五能線側には廃車になったキハ22(キハ22027-キハ22029)とタム501が並んでいた。
(さらに…)定期列車の頃の快速「ムーンライトえちご」(新宿 – 新潟)。おもに国鉄特急色の485系(新潟車両センター K1,2編成)が運用についていた。このあと2009年3月のダイヤ改正で臨時列車化され、2014年夏以降は列車の設定がなくなってしまった。新潟駅は高架化工事が始まる前の風景だ。
2008年3月のダイヤ改正で廃止された、東京 – 大阪間の寝台急行「銀河」。寝台車6両に電源車1両の短い7両編成で、大阪方の1号車は開放式A寝台のオロネ24形(オロネ24-102)だった。牽引機のEF65は機回し中のため写っていない。最後のダイヤは東京23:00発(6:42着)、大阪7:18着(22:22発)だった。
(さらに…)米坂線を走っていた除雪用機関車(DE15 2524)。今泉駅で米沢行きの普通列車(国鉄色キハ52-127+新潟色キハ47-1521)と交換して、豪雪険しい宇津峠へと向かって行った。
2008年4月1日に廃止された三木鉄道は、厄神駅(兵庫県加古川市)と三木駅(三木市)を結ぶ6.6kmの短い非電化路線だった。1916年に播州鉄道として開業し、1923年に播丹鉄道へ譲渡、その後1943年には国有化され、1985年に第3セクターへと転換された。
廃止前の三木駅で撮影したパノラマは、厄神行きのミキ300-103(124列車)と停車中のミキ300-105。木造の駅舎とミキ300-105の隣には貨物ホームが残っていた。三木鉄道を走っていた3両の気動車は廃止後、ミキ300-103はひたちなか海浜鉄道へ、ミキ300-104(→フラワ2000-3)は北条鉄道へ、ミキ300-105(→ハイモ295-617)は樽見鉄道へと譲渡された。
米子駅 – 境港駅(17.9km)を結ぶ境線の終着駅。境港市は漫画家水木しげるの出身地。境港駅は鬼太郎駅の愛称もつけられていて、列車も駅も駅前もゲゲゲだらけだ。米子駅から乗ったのは目玉おやじ(キハ40 2095)とねこ娘(キハ40 2094)列車。列車は2009年当時の柄で今は新しくなっている。
電鉄出雲市駅 – 松江しんじ湖温泉駅間(33.9km)を結ぶ「北松江線」と、川跡駅 – 出雲大社前駅間(8.3km)の「大社線」の2路線が接続する川跡駅にて。北松江線の上下列車と大社線の列車が接続するようにダイヤが組まれていて同時に3本の列車が並ぶことが多い。北松江線は2017年1月に引退した3000系(元南海電鉄のズームカー21000系)、奥の大社線が2100系(元京王電鉄の5000系)
上野駅16番線に入線した金沢行きの急行「能登」。平日は「ホームライナー鴻巣3号/古河3号」の間合い運用もあり、入線後に車内清掃と「ホームライナー」用のヘッドマーク取り外し作業があった。先頭はクハ489-3(489系H02編成)。
(さらに…)東京 – 大垣間を結ぶ夜行列車、快速「ムーンライトながら」。定期列車時代はJR東海の373系で運転していて、長良川の鵜飼いのヘッドマークが表示されていた。午前4時過ぎには豊橋駅で50分ほど長時間停車があった。
上野駅(23:03発) – 金沢駅(6:26着)を運行していた寝台特急「北陸」。上野 – 長岡間はEF64 1000番台、長岡 – 金沢間はEF81が牽引していた。14系寝台客車は短い8両編成だった。
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